カナダ留学コンサルタント、RCA 海外留学アドバイザー No.162002
カナダ在住20年以上のカナダ留学専門家。カナダ留学情報を発信するTwitterアカウントはカナダ以外も含む留学ジャンルでフォロワー数1位(1万人以上)、月間最大インプレッションは400万を超える。現在までサポートしてきた生徒数は1万人以上。
カナダ留学コンパスの移民コンサルタントを務める村山 真理枝です。
東京の大学卒業後、一部上場企業勤務、カナダの大学へ留学、卒業後イタリアに移住して学校経営後、バンクーバーへ。
韓国系最大手の留学エージェント、国際的教育財団でのマネージメント職を経て現職へ。
「Immigration Consultant ICCRC R511456」を取得し、カナダで数少ない日本人ビザコンサルタントとして活躍。
留学は夢から始まります。その夢を一緒に目標に変えられるカウンセリングをモットーとしております。その夢の為に今なにをすべきかを一緒に見つけましょう。
インタビュー
カナダ留学コンパスでは、移民、永住権に関しての相談は移民コンサルタントの国家資格を所有している正式な移民コンサルタント、村山真理枝さんにお願いしています。
真理枝さんがどんな人なのか、また、カナダへの移民についてどんな想いがあるのか。
その人柄が伝わるようにインタビューしました。
── まずは、生い立ちについて伺います。出身はどちらですか?
まりえ:
群馬県と埼玉県の境目で日本一蒸し暑い熊谷の隣、太田市出身です。
有名な観光地はありませんが、長芋は美味しいのが取れます(苦笑)。
── 子ども時代はどんな性格でしたか?
まりえ:
1歳上の兄と1歳下の妹と三つ子のように育ちました。
年齢が近いのと、兄も妹もとても出来た子達だったのでワガママな私でも兄弟ゲンカはありませんでした。
── ワガママだったんですか?(笑)
まりえ:
今思うと、親にとっては悪夢のような子どもだったと思います(笑)。
何も考えてなくて、うるさくて、自分の思う通りにならないと癇癪を起こし、食べ物の好き嫌いも多いという。
例えば、ピアノのレッスンが嫌で、妹も連れて向かいの家の押入れに立てこもったり……。
── きょ……強烈ですね
まりえ:
今では母に「手がかかる子ほど可愛いでしょ?」と言うのが口癖です(爆笑)。
── 小学校のころはどうだったんですか?
まりえ:
小学校ではあまりにも勉強をしなくて母が諦めたのか、スポーツばかりさせられてました。
陸上、ミニバスケットボール、水泳、スキー、リレーといろいろしましたね。
── 本当にスポーツばかりですね!
まりえ:
ワガママでしたが、一度納得すれば、誰よりも頑張ってました。納得さえすれば(笑)。
何に関しても「なんで?」と聞きまくる子どもで、妹にも母にも「もう!何でって聞くのは禁止」と禁止令が何度も出るほどでした。
── 発明家のエジソンも「なぜ?」と聞きまくっていたそうですよね
まりえ:
そうなんですか! 私、すごい発明しちゃうかも(笑)。
中学や高校に入っても、「なぜなぜ病」は止まらず、「夏は白の靴下、冬は黒か黄の靴下」のような校則に対しても、「なぜ?」と先生を問い詰め、困らせていました。
その先生も顔を真っ赤にして「もう!あんたは退学になるよ!」と怒鳴りだす感じでした。
── 日本の校則には理由がないものが多いですからね(笑)
私としては、何が悪いのかわからないけど、いつもトラブルになる……という状態でした。
本当の意味での不良をしてる子とは違うと思うのですが、「問題のある生徒」というレッテルを貼られ、「どうして質問しちゃいけないんだろう?」と12年間、苦しんでましたね。
── そういう経験が留学に繋がったのですか?
まりえ:
まさにそのとおりです。
中学〜高校時代のこの体験が私を留学に導いたんだと確信しています。
まぁ、今考えれば勉強だけでもちゃんとしていれば、きっと先生や親もそれなりに聞いてくれたんだと思いますけどね。
質問される人達も人間だから、完璧に何もかも答えられる訳じゃないですから。
── 高校を出たあとはどうしましたか?
まりえ:
高校を出て、北海道の短大に入りました。
サークルなどで遊び呆けることと、北海道の自然を楽しむことに夢中になっていましたね。
一人暮らしは楽しいこと、自由が満喫できることは学べましたが、残念ながら日本の短大では何も学べませんでした。
専攻は商科ですが、カナダの短大に行くときに見た成績表によるとそれなりの成績を取っていたようですが、何を勉強したかも覚えていません(笑)。
後々、カナダの短大〜大学に入ることになるのですが、そこで学んだことは、仕事や私生活でも毎日のように活用しています。
── 大学を出てからどんな仕事をしていましたか?
まりえ:
一部上場の積水化成品に正社員として就職しました。
事務処理や秘書のような仕事を4年間。
短大では学ぶことがなかったのですが、日本の会社は学ぶことがいっぱいでしたよ。
「社会人としての教育」を本当の意味で学べたと思います。
先輩がいないと何も出来ない人間が、お給料をもらいながら色々と教えてもらえるなんて素晴らしいですよ。
── カナダではそうじゃないのですか?
まりえ:
はい。カナダではそんな「甘えた社会人のスタート」は切らせてはもらえないんです。
即使える人材が求められていますし、そうなるような教育制度になっていますからね。
世界で成功できるような人間になるためには、日本で3年間の就労経験をオススメします。
── 日本で社会人をしているときはどうでしたか?
まりえ:
仕事を始めて、最初の1年は毎日泣きっぱなしでしたね。
サービス残業も毎日、週末にオフィスに行くこともよくありましたが、毎日学ぶことがある間はがんばっていました。
負けず嫌いな私は、今与えられている仕事が完璧にできるまでは絶対にやめないと決めていたんです。
4年間、日本の会社で働いていましたが、その時やっていた仕事に自信がついた時点で「次のステップ」を考えるようになりました。
── その「次のステップ」が海外だったんですね?
まりえ:
そうです。そのときの私にとっての「次のステップ」は、日本を出て海外に行くことでしたね。
私が働いていた頃の日本企業では、女性の事務員の頭打ちは3年でした。
3年以上会社に残っていても、女性が出世できる道はないことは、他の先輩女性を見てよく理解してましたし。
今の日本はもう少し進んでいるのかもしれませんが、その時の私には日本にただ残る選択肢はなかったと思います。
あと、日本での結婚がどうしても女性に不利に出来ていることに納得できなかったのも日本を出たいと思い始めたきっかけです。
── 海外の中でカナダを選んだ理由は何ですか?
まりえ:
北海道の短大を卒業したんですが、北海道と同じような気候で自然もいっぱいということで興味を持ちました。
それにカナダは英語の発音もきれいだったので、いろんな国を調べた中でカナダがダントツだったんです。
── カナダに来た当初はなにをしていましたか?
まりえ:
最初は、オタワのカールトン大学(Carleton University)の付属英語コースに入り、大学への入学を目指しました。
オタワはカナダの首都で極寒なんですが、北海道に慣れていた私にはなんの問題もありませんでしたよ。
その後、バンクーバーの短大への入学を決めてバンクーバーに移動し、その短大を終了しました。
── そのままずっとバンクーバーにいますか?
まりえ:
いえ。カナダの短大を終了した後、イタリアへの移動を決意し、4年半の間、イタリアに住んでいました。
でも、またカナダに戻りたいと思い始め、カナダに戻る決意をしました。
── ビザも無い中、どうやってカナダに戻ったんでしょうか?
まりえ:
そのときカナダに帰るすべは「大学への編入」しかなかったんです。
4年半も英語から離れて不安はありましたが、なんとか大学に入りました。
学校からもAWARDをもらい卒業し、PGWP(日本語では「ポスグラ」とも呼ばれる就労ビザの一種)を取得することができました。
── サラッと言っていますがスゴいですね(笑)
まりえ:
いえいえ。その後は仕事探しの毎日です。
毎日、5〜6時間かけてそれぞれの会社に合わせた履歴書とカバーレターを作成していました。
1日10件以上の履歴書を送り続け、必死の就職活動を続けていましたね……。
── そして就職先が?
まりえ:
はい。そんな中で決まったのが、韓国最大の留学エージェント「UvanU(ユーバンユー)」でした。
UvanUは、韓国人以外の学生のリクルートメントができる人間を探していたんです。
面接では「できますか?」と聞かれて、根拠もないのに「はい! 出来ます」と自信満々で答えた記憶があります。
── あとに引けない状況の中、成果を出したんですね
まりえ:
そうですね。入社して3か月後には成果を出し、カナダ移民のスポンサーになってもらうことを了承してもらえました。
半年後にはマネージャーに昇進し、本格的なヨーロッパや南米、サウジなどへのマーケティングを開始しました。
この頃も毎日残業、週末出社もよくしていた記憶があります。
成果も無事に出して、業界で認めてもらえる存在になれたのもこの会社のおかげだと心から感謝しております。
── カナダでも毎日残業、週末出社だったんですか? 日本と同じ状況では?
まりえ:
たしかに「サービス残業」という言葉にすると、日本と同じに見えますが、全然違いました。
「残業すればするほど自分に返って来る」ことを考えれば、結果的には実りばかりでした。
残業してもそれに見合って成果を出して行けば、毎日学ぶことばかりですからね。
私が日本で経験した単純作業がほとんどの事務員では「3年繰り返したら学べることはほとんどない」という状況でしたが、同じサービス残業だとしても大きく違います。
「残業」と聞くとマイナスなイメージが多いと思いますが、仕事を始めたばかりの人に限っての残業は本当に自分の為になりますよ!
若い頃はまだ家族もいなく独身で自由な身。このときに学べるだけ学ぶという心がけがあれば成果を出すための残業はとても楽しいです。
── そのあと、移民コンサルタントになったんでしょうか?
まりえ:
その後は、スカウトをしてもらった教育団体で1年間マーケティング・セールスの管理職として働きました。
日本の大手留学エージェントに管理職として雇ってもらった際に、移民コンサルタントの国家資格を取得しました。
そこで経験を積んだ後、現在の移民コンサルタントとしての独立となりました。
── なぜ4年半暮らしたイタリアではなく、カナダで移民になろうと思ったのですか?
まりえ:
実はイタリアは嫌で、すぐ帰ろうと思ったんですよ(笑)
それでもレストランで働いたり、料理の先生をしたり結局4年半ぐらいいました。
日本とイタリアに住んで感じたのが、この2つの国は価値観が180度真逆だということ。
日本人は良い人でもないけど、悪い人でもない…という人が多いですよね。
それに比べて、イタリアでは「良い人」と「悪い人」が両極端!
もちろんイタリア人の価値観から学べる点はたくさんありますが、悲しいことに現実では結局「悪い人」が得をしていることが多くて。
そういう意味では、イタリアは普通の日本人にとっては馴染みにくさのある国ですね。
── それでカナダを選んだのですね。
まりえ:
はい。カナダはちょうどその中間のような国です。
イタリアにいると、イタリア人にならない限りは一生 outsider(よそ者)なんですよね。
それは日本にいる外国人も同じで、日本人にならない限り一生「外国人」です。
だけど、カナダにいると私は「カナダに住んでいる日本人」で居続けられます。
カナダではすべての価値を認めてくれて、自分の生き方でいいんです。
私は「村山真理枝」という個人であり、別にカナダ人になる必要も日本人である必要もなく、自分でいればいいという考え方なんですね。
そういう価値観の国に絶対住みたいと思い、カナダで移民することを決めました。
── 海外生活とひとことに言っても、国によって全然違うんですね。
まりえ:
本当にそうです!
私は今、世界で一番いい国に住んでいるという自信があります。
だから、もっともっと皆さんにカナダに来て欲しいと思っています。
── カナダの企業(韓国系留学エージェント)で仕事の成果を条件にスポンサーをお願いする際、絶対に移住できると自信はあったのですか?
まりえ:
ないですよ、そんなの!(笑)まだ学生でしたし。
でも、カナダで学んできて、とにかく「できます」「絶対にやります」と言い切ってしまうことの大切さは知っていました。
日本ではよく敬遠したり、謙虚でいるのが重要だとされていますが、それってつまり責任を取りたくないということなんですよね。失敗するのが怖いとか。
その頃、私の中では失敗するのが当たり前だったんです。
それに、死ぬ気でやれば大体のことはなんだってできると思っています。
日本的に常に逃げ道を作っていると、結局死ぬ気でやらないし、面倒くさくなったり誰かに道を決めてもらいたくなったりしませんか?
カナダで企業にスポンサーになってもらうために、私は「絶対に結果を出すので移民のスポンサーになってください」と言い張りました。
できるかどうかではなく、自分を信じて絶対にやり切るしかないんです。
そうすれば必ず道は開けます。
努力さえできれば、誰でも移民はできます。
── 真理枝さんは長年エージェントで働いていらっしゃいますが、カナダ移住に興味のある日本人は増えていると感じますか?
まりえ:
そもそも若い人の数が減っているので、留学をする人数自体は減っていますね。
ただ、留学を経験した後にカナダに移住したいです、とおっしゃる方は確かに増えています。
正直言うと、カナダに「出稼ぎ」に来るパターンが増えているんです。
私がカナダに来た当時は1ドル=50円ぐらいで、カナダに来れば安く暮らせました。
それが今ではカナダの経済はどんどん伸びて、日本は落ち込んでいます。
逆転してしまったんです。
── 確かに、日本の正社員よりもカナダのアルバイトの方が稼げる…なんていう話もありますよね。
まりえ:
そうなんですよ!
なので、カナダで働いた後に日本に戻った学生さんなどは、帰国後の生活が物足りなくなって「やっぱりカナダに残りたい」と言って、移民を希望するパターンが増えています。
以前は「カナダで安く暮らしたい」だったのが、今は「カナダでお金を稼ぎたい」になっているんですね。
── そのようにカナダ移住を希望した方たちは、無事移住できたのでしょうか?
まりえ:
希望するタイミングによります。
時間がなくなって、結果的に移住できない人もいます。
ただ、この「時間がない」というのは、残念ながら時間をうまく使っていない方たちがほとんどなんですね。
どうしても日本人は受け身の方が多いです。
「いつか移民できればいいな~」「たまたま上手くいって、流れで永住権取れたらいいな~」なんてただ待っていると、どんどん時間だけが過ぎてしまう。
カナダ移住は自分から「絶対に移民する!」という決意がないと難しいです。
── 日本人にとって、カナダ移住の最大の壁はなんですか?
まりえ:
英語です。
カナダに移住したいならまず仕事を見つけなければなりません。
その仕事を見つけるためには英語が必要です。
英語とカナダで生きていくための生活力がないと、いい仕事は見つけられない。
いい仕事が見つからないと、自分がカナダにとって役立つ人間だと証明ができないんです。
それでは移民はできません。
── 英語ができないと移住は不可能ですか?
まりえ:
たとえば東南アジアや発展途上国から来た移民は、まったく英語ができない代わりに労働環境の悪い、他の人がやりたがらない仕事を引き受けるケースもあります。
これも一つの手段です。
ただ、日本人の多くはこのような劣悪な環境で働くことに慣れていないし、日本人としてのプライドがあり「どんな仕事でも引き受けます!」とはなかなか言えません。
では何が必要かって、やっぱり英語力なんですよね。
── 日本では30代になってから海外移住に興味を持つ人が少なくありません。実際のところ、何歳までならカナダに移住できますか?
まりえ:
確かに、30代以降で移住を希望される方は多いです。
あえて数字を出すならば、永住プログラムのスコア配分で0点になる45歳が一つのラインです。
しかし、現実的にはその年齢に見合った知識や経験があればそこはあまり関係ありません。
── スキルが必要ということですね。
まりえ:
そうです。私自身、技術移民を取得したのが30代後半の時です。
イタリアからカナダに戻ってきたのが36歳ぐらいで、そこから数年かけて取得しました。
── その数年の間に英語力やスキルをしっかりと身につけたからこその結果ということですね。
まりえ:
はい、その間にちゃんと努力をしましたし、勉強も惜しまずにしてきました。
ここで言う勉強というのは、ただ英単語を覚えたり図書館で調べものをしたりとかではありません。
戦う勉強です。
死ぬ気で本を読んで、死ぬ気で勉強するんです。
── 具体的にどのような努力が必要なのでしょうか。
まりえ:
一番大切なのは、与えられた課題をやってもないのに「自分には向かない」と言わないことです。
100点も取ってない、そもそもやってもいない状態で「向かない」と言うのは、向いていないのではなくただ努力していないだけ。
日本人の弱点は努力をせず、何もしていないのに自分に向いていないと判断し、好きか嫌いかで決めてしまうところ。「ラクじゃないから好きじゃない」って。
あれも向いてない、これも向いてないとグルグルするだけでは、延々に横に動いているだけで前には進んでいません。
特に30代以降なら、こんなことで時間を無駄にする暇はないですよね。
とりあえず与えられたものを一生懸命努力して取り組めば、その経験は必ず将来役に立ちますし、考えもしなかった新しい道が開くこともあります。
まずは何かで1番を取ることです。それぐらい努力できるなら、必ず移民はできます。
あとはお金も必要です(笑)
── カナダ移住については専門サイトの他にも、個人ブログや海外在住ユーチューバー、テレビや雑誌、先輩移住者の体験談などさまざまな情報元があります。まずは何を頼りにしたらいいですか?
まりえ:
まず言えるのは、困ったときにブロガーやユーチューバーなど「私、こうして移民しました!」みたいな話は絶対に聞かない方がいいです(苦笑)
── そうなんですか!でも今はブロガーやユーチューバーがすごく多いですよね。
まりえ:
移民法というのは、コロッコロ変わるんですよ!
本当に、政治の状況によってあっと言う間に変わります。
学生ビザでさえも、1か月の間に何度も何度も変わったりします。
なので、その情報発信をしている人が利用した移民プログラムはすでに廃止されている…なんてよくある話ですし、そのプログラムがまだあったとしても、現在カナダ移民局のオフィサーはその内容を違う意味で理解しているというケースもあります。
── カナダ移民局が違う意味で理解している、というのは?
まりえ:
ビザ説明文に書かれている文章はまったく同じで変わっていないのに、過去と現在ではそこに含まれている意味、解釈の仕方が違うということです。
── そんなことがあるんですか!一般人には分かりようのない変更ですね…。
まりえ:
そうなんですよ!
例えば就労ビザも、以前はただ履歴書を持って国境に行けば発行してもらえていました。
それがある日、移民局のオフィサーに「証明が足りない」と言って却下されるんです。
まったく同じ条件で同じ制度で申請して、政府が発表している移民法も同じなのに、移民局はその解釈を突然変えることができてしまいます。
── 移民局の解釈の仕方が変わったかどうか、移民コンサルタントはどのように把握するのですか?
まりえ:
情報収集です。
「今後は却下になるらしい」という新しい情報が移民コンサルタントの間でウワサとして段々広まり、それが新しい常識に変わっていきます。
今までOKだったのが今後は却下になる…という風潮になれば、私たちはそれに従うしかありません。
移民法に書かれていない情報を集めるのは非常に重要です。
なので、この分野で常に情報をキャッチしている人でないと、すべてを理解するのは不可能です。
ブロガーさんなど一個人では絶対に手に入らない情報なんです。
── 移民コンサルタントは、他の専門家とのつながりが強いのですか?
まりえ:
はい。私は移民コンサルタントの大きなグループとも仕事をしているので、そこで情報を集めています。
特に多くのケースを扱ってきたコンサルタントさんは、やはり持っている情報量が違います。
カナダ政府が発表している移民法を読むだけなら私一人でもできますよね。
しかし、最新の移民局オフィサーの反応や風潮など、移民法に書かれていない情報を得るには、他のコンサルタントとのつながりやたくさんのケースを経験するしかありません。
── やはり、プロのエージェントに相談するのが一番確実だということですね。
まりえ:
そういうことです。
でも、プロの人たちの中にもいろいろいますよね。
弁護士や医者もそうです。どの弁護士がいいかなんて最初は分かりません。
実際に相談して、納得いくまで質問して、「この人なら信頼できる」というプロを見つけるのが一番です。
最終的には人間性ですね。
一つ言えるのは、コンサルタント代を安く値切ろうとは絶対に考えない方がいいということです。
── 安さと質は比例するということですか?
まりえ:
移民コンサルタントに相談するのは、人生のことですよね。
自分の人生を左右することをケチって、数年後には覚えてもいないような遊びや旅行にお金をかけるのって、矛盾していると思いませんか?
自分の人生を決める書類を準備してくれるプロを安く使おうとは、考えない方がいいと思います。
お金をかけるところを間違えてはいけません。
── どのような人にカナダ移住を勧めますか?
まりえ:
全員です!
自分を変えたいと思ってる人たちにぜひ来てほしいです。
お金がない人なら貯めればいいし、すでにお金を持っている人はカナダに来て新しいチャレンジができるし、子どもがいる人ならその子たちに素晴らしい環境を与えることができます。
なので、カナダ移住はだれにとっても新しい可能性になります。
── それでもカナダ移住への一歩が踏み出せない方にアドバイスはありますか。
まりえ:
移民に躊躇するということは、結局移民をしたくないんだと思います。
日本で暮らして日本で満足しているなら、そのまま日本での生活を大事にしてほしいです。
日本で日本人として生まれ、その国が好きで今幸せならそのことに感謝をすればいいですからね。
もちろん、すでに英語力が高くて学歴も職歴もあって…という方なら躊躇する余裕がありますよ。
でも、そうじゃないなら躊躇している余裕なんてないはずです。
一歩を踏み出せず、どうしようどうしようといつまでも努力できないなら、そのまま日本で暮らして日本で幸せになる方向で努力してほしいですね。
ただ、本気で努力して覚悟があるなら、必ず移民はできます。
── 最後に、カナダ移民を目指す人にひと言お願いします!
まりえ:
グローバル化の進む中、移民はカナダだけではなく、世界でも避けられない現象となっていきますよね。
それは日本でも同じで、人口がどんどん減っていく日本では外国人の力を借りないと成り立たなくなると言われています。
どんな人達に日本に移民として来てほしいと思いますか?
自国で学校も中途半端、仕事もバイトばかりで続かない人に来て欲しいですか?
日本語が片言、日本の文化もよく分からに人に来て欲しいですか?
政府がそういった人間が簡単に日本に来られる法律を作るとしたら賛成できますか?
どの国でも「欲しい人材」というのは決まっています。
ただ、その人材を選ぶプロセスを平等かつ、正確にするのがとても難しいのです。
移民法はカナダの政治と経済状況に応じてコロコロと変化していきますが、カナダ人のためにあり、外国人申請者の為にあるものではありません。
そういうことを知った上で、世界的にも移民しやすく、過ごしやすい国カナダへの移民を考えていただければと思っています。
移民コンサルタントの私としては、そんな目まぐるしい変化をいち早くキャッチし、できる限りのサポートをしていければと思っております。